無知なりに考える、教育。

考え

この記事では、スタディサプリの記事を書いていた際に私が考えた「教育の形、学校の形」に関することを記しておく。

ちなみに、この考えは私にとっては自分で至ったものではあるが、世にとって新しい考えであるとは限らない。むしろ、私程度でも思いつけるのだから既に先駆者がいる可能性は高い。

だが、ここではあえてそれらの意見を検索することをせず、自分で考えていくことにした。

記事の題にもあるが、あくまでも「無知なりに」考えているだけなので、誤った認識が含まれる可能性はあるということを理解した上で読み進めるようにしていただきたい。

私が考えた「教育の形、学校の形」

簡単に言ってしまえば、映像授業の導入により教員の力をコミュニケーション的な授業や個別指導に注ぐことができないだろうか、という話である。

具体的には以下の通りだ。

映像授業

スタディサプリのような映像授業を考えている。授業の最後に簡単な確認テストを付す。また、一定期間が経つと、それぞれに復習用のテストが配布されるようにする。

内容としては、既存の学習に加えて、より本質的、実践的なものを増やすことが望ましい。
将来について考える、学校について考える、調べ物をしてみる時間をつくってやる、など。

知識のインプットだけではなく、考えるということも映像授業の中でさせていく事ができるのではないかと思う。(アウトプットについては後述。)

授業の進め方は、
紙のプリント+映像を前に映して見る(全員共通)
から、段階的に
タブレット(紙のノート代わり)+外部出力画面(または、望ましくないがスマートフォン)で自分に合ったレベルの映像を見る(各自)
に移していくのが望ましい。

タブレット(汎用性の観点からiosではなくWindowsを想定)の購入が必要になってくるが、パソコン的なOS(windows)とスマートフォン(ios、android)ではできることが違いすぎると思うので各自1台くらいは持っていたほうがいいと思う。実際、大学に入ると一人一台くらいは持っていることが望ましいとされているのだから、それが少し早くなるだけである。

ある程度学年が上がると授業は各自の自主性でどんどん進めていけるようにするが、この時期までにこれくらいは終わらせようという共通の課題設定は必要になる。これは最低限の学力の担保のためと、テストで成績を判断しやすくするためだ。

コミュニケーションの時間

実際に生身の人と出会うことによってしかできないことを行う。議論やディベートなど、従来の国語や道徳、総合の時間に近いものになる。

映像授業で考えたことを話す場というようにすると、授業が円滑に進みやすいだろう。

また、外国語(英語)の初期段階に置いては音読、発音の時間は別途で設けなければならない。実際には英語で議論ができるところまで持っていくのが望ましい。

テスト

上で述べたような共通の課題設定に基づいて行う。成績の判断基準にする他、映像授業に付随するテストと共に個別指導の参考にする。

個別指導

生徒一人ひとりに対し、教員が指導を行う。

テストを参考にして学習的な指導をする他にも、将来について話すなどのより本質的な内容にも踏み込んで話せるのが望ましい。それらを念頭に置いた映像授業があるといいだろう。

書いてみての感想

スタートは悪くなかったかもしれないが、結局、書いたことには具体性に欠けるただの理想論である気がした。途中からそんな感じがして尻すぼみな内容になってしまった。

やはり、実情を知らないのである。知識がない。経験がない。だから、理想を広げることはできても、実際には生かせないだろう。

では、どうしたらこれらの考えを実行まで持っていけるだろう?学校を変えるにはどうすればいい?教職に就けばいいのか?学校でも作るかい?

まあ、残念ながら私はこの考えを実行することに対してはそれほど前向きではないのでこれ以上は話は進めないのだが、ひとつ再認識できる。

私は無知である、と。

では、より知るためにはどうしたらいいだろうか?いや、そもそも何のために何を知るべきか?私は何がやりたいのか?

結局は毎回それに至って詰まってしまう。

とりあえず、今のところは楽しいから勉強をしてみるものの、行き先は見えない。不安だ。

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